会員の方へ

形競技(演武競技)について

志々田文明師範より「形競技の審査評価における三指針」(2023年8月30日)と題する提言を頂戴しました。
大会において、どのように点数として落とし込むかについてはこれからの課題ですが、
今後行わなれる形競技の審査におかれましては、本指針に留意して下さいますようお願いいたします。

 2023年9月2日
教育局長 嶋田典弘

形競技の審査評価における三指針

日本合気道協会 師範
志々田 文明
2023/08/30 記

この文書は、「形競技」の競技会において審判員が審査評価をする際に考慮すべき三つの指針について解説したものです。

「形」(かた)とは、嘉納治五郎師範が柔道修行の手段として示した「乱取り」と並ぶ稽古方法であり、ふつうは数十本の技によって一つの形が構成されています。それらの形は一般に、創始者あるいはその組織が定めたものであり、修行者にはその方法を墨守することが求められます。個々の技は、技の受け役と取り役の者が、技の攻防の手順にしたがって淡々と演武されます。

このような嘉納師範の卓越した考え方を、「競技合気道」創始者の富木謙治師範は発展的に受け継ぎました。そして求道的な形の精神と、勝利を追求する競技の精神とが矛盾することを承知の上で、斯道の発展のために、競技化への動きを認め、実施に踏み切りました。しかしその後の形競技の歴史は、形の演武を誇張や衒いによって美化する方向に徐々に傾斜し、形の精神からの乖離を大きくしました。

元来形の演武とは修行の段階を表現するものであり、審査員を想定してその巧みさを競うものではありません。一方、形競技とは、形に精通した審査員よって、形の演武の優劣を審査することをいいます。つまり両者はその目的を異にするため、形の競技には矛盾が内在するのですが、賽は投げられ、本協会では、従来この競技を「演武競技」という名の下に、主に大学生の間であるいは国際大会等で実施してきました。

筆者は、美化の傾向を大きくしたことの反省に立って、形競技者を念頭に、「演武競技のあり方と評価の観点に関する指針」(2019 年)を執筆し、形のあり方について一つの規範を示しました。これを受けて本稿では、審査員を念頭に、審査員が審査評価をする際の三つの指針を表 1 に示すことにします。また名称も、富木師範の形に対する精神をより適切に表現する「形競技」に変更しました。
審査員は、表 1 の内容を総合的に評価し、別に定められた評価用紙等を用いて優劣を判定します。

〇表 1:形競技の審査評価における三指針

三指針解説補足解説
1.基本動作は修得さ
れているか?
演武審査では基本動作の要素を個々に見るのではなく、ゲシュタルト(形態)*として総合的に評価する。基本動作とは、目付、姿勢、運足、手刀のはたらきなど、受・取双方の基本的な技能をいう。
2.時空間の間(ま)は
適切か?
距離・位置・時機(タイミング)および各技のつながりが、演武に醸し出す品格・味わいを評価する。間(ま)とは受・取相互の距離・位置・時機(タイミング)など。なお間合は主に位置関係をいう。
3.誇張や衒(てら)い
はないか?
技の掛け方、残身に虚勢はないか、取を引き立たせるための不合理な受身をしていないかなどを評価る。つまり実用性を追求する中で表出される機能美、また古流の形等にみられる理合の表出を評価する。武道の精神とはスポーツの採点競技やエンターテインメントの世界とは異なっている。剣豪宮本武蔵は実用を重んじて大道芸を批判し、基本を修得して臨機応変の技を求めた。第三指針はこうした思想を継承することである。
*ゲシュタルト:部分からは導くことのできない一つのまとまった有機的・具体的な全体性のある構造。形態。(精選版日本国語大事典)
参考文献*富木謙治『合気道入門』(ベースボール・マガジン社,1958)、同『新合気道テキスト』(稲門堂,1963)

以上

演武競技のあり方と評価の観点に関する指針

(NPO)日本合気道協会
師範 志々田 文明
2019/7/30

本指針は、演武競技における競技者と審査員の拠り所となるべく作成した。

演武競技のあり方

富木謙治師範が合気道の技に求めたものは、「形」稽古と「乱取り」稽古の修行を通して獲得される攻防一如の実用性にある。富木謙治師範が特に強調したのは間合いと手捌き体さばきの練習によって獲得される完全防御の精神である。これを「武術性」という。この精神に基づいて出来上がっているのが師範が制定した各種の形である。形の稽古においては、演ずる形が要求する理合を受と取とが理解して、形の精神を体現することが求められている。

これに対して演武競技は競技スポーツにおける採点競技であり、その演武は採点基準を記した規則に従って演武すること、また、審査基準に従った審査することが求められる。そこで重要なのが、上に述べた形の精神を採点基準にどのように活かすかである。

演武競技における演武のあり方は、演武競技の以下2つの種目群によって異なってくる。個別に要点を述べると以下のようになる。

  • 本協会固有の形等(乱取り基本の形17本、同裏技の形10本、古流の形(第一から第六)、その他富木師範・大庭師範が制定に関わった稽古形態)を演武する場合は、個々の形等の創設の精神に従って行う必要がある。それらの形に通底する武術性の精神に伴うあり方を一般化して述べれば次のようになる。まず、人の心を打つ品格があげられる。臨機応変[1]にして衒(てら)う[2]ことのない枯淡の味わいがそれである。一方、稽古に裏打ちされた熟練から生み出される力動性(ダイナミズム)は、修行者がそこに至る必須の関門といえる。つまり老若男女の段階に従って自ずから味わいが異なるといえよう。
  • 各種の大会で行う演武競技においては、次項に述べる評価の観点に従って行なう必要がある。従来、富木師範の精神[3]から逸脱した演武が行われ、審査されてきた。その主なものには、強さや巧さを見せようとした演武における、観客や審判に対する誇張[4]や衒いである。そうした演武が他の演武との比較によってよい成績を占めた場合、その悪しき慣習が周囲で見ている人々に伝承されることになる。実際これまでの歴史を振り返ると、例えば乱取りの形17本の形で、指導者が富木師範が技で相手を制御(コントロール)するよう指導した技を、改変して極めを用いて行ったり指導することがあった。我々はこれを深く反省し、富木師範の伝えられた教えに基づく必要がある。

そこで以下では採点基準となるべき項目について、評価の観点として示す。

評価の観点

演武競技においては、以下の点に留意して演武し、また優劣を評価する。

  • 武術性(完全防御の実用性practical combat effectiveness)に留意しているか。相手の反撃を受けない位置と距離の取り方(離隔の間合い)は適切か。構えは適切か。
  • 誇張や衒いはないか(without exaggeration and showing off)。品格と真逆な精神である。受をむやみに痛めつけることによって、自分の強みを誇張しようとする貧しい精神性を言う。しばしば陥りやすい面があり、絶えず反省が求められる。
  • 熟練度(受・取の技の滑脱さproficiency)は十分か。稽古は充分であるかを見る。どのような稽古でも継続して行うとその演武に味わいが出る。
  • 力動的であるか(dynamics)。主に若者に求められる性格である。熟練度とも関連する。ただし演武は必ず力動的であることが求められるわけではない。
  • 品格はあるか(grace)。緊迫した大会等の場で、武道の理合いにかなった技に伴う品格を見る。
  • 自然体・柔・崩しの理[5]にかなっているか(三つの技術原理。ref. three technical principles)。適正な姿勢・構えで身体を運用しているか(自然体の理。ref. the principle of Shizentai or natural posture)。相手の動きに順応した運足、間合のとり方はできているか(柔の理。ref. the principle of Ju or flexibility)。バランスの崩れを意識しているか。あるいは無理な技をかけたり、崩れがないにもかかわらず受が派手に飛んでないか(崩しの理。ref. the principle of Kuzushi or balance breaking)。

[1] 稽古によって自然体の妙用を体得したときに伴う、無限定の攻撃に対する対応力をいう。

[2] 「衒い」とは自分の演武を誇って見ている人にひけらかす以下のような行為を指す。①崩しがないにもかかわらず受けが派手に飛ぶ。②安全に対して配慮がない。③極める際に不必要な痛みを与える。

[3] 日本合気道協会HP収載の志々田文明「富木謙治の武道思想」参照

[4] 「誇張」は受けを派手に飛ばせたりして大げさに表現すること。また過激な技により受に苦痛を与え、派手に畳を叩かせることによって強さを顕示しようとすること。

[5] 合気道を含む柔術に通底する技法原理。富木師範が重視した嘉納治五郎師範の教え。