富木合気道とは
1.定義と内容
「富木合気道」とは、富木謙治師範(1900−1979)が合気道を体育学的に編成した教育システムをいう。その特徴は大きく「乱取り」と「形」(約束稽古)の練習方法を併修する点にある。柔道における「乱取り」は互いに襟袖をもって組み合い、投技と固技によって実力を養うものであるが、富木合気道における「乱取り」は互いに離れた状態、特に当身技が届く/届かないといった、剣道に云う「一足一刀」のぎりぎりの位置から、当身技と関節技を錬磨しあう点に特徴がある。また富木合気道における「形」とは、制定された形を基盤に、その応用を実用性の観点から稽古することで「武心」を養い、人格の形成を図る体育的身体活動である。
2.目的
富木師範は合気道修行の究極の目的を人間形成に置いている。合気道の修行とは、合気道という広範に及ぶ技法修練の過程を経て、人間形成の道へと進む教育課程であり、その目的は、「乱取り」と「形」の稽古方法を併修することによって、日本武道の教育目標ともいえる「無構え」及び「無心」の理を悟り、以て、人生をより豊かに、より良く生きることにある。
3.武術史上の意義——柔術の近代化
明治維新によって日本の武術は一時衰退の兆しを見せた。この時期に武術、特に柔術のもつ教育性に注目し、その近代化を図ったのが嘉納治五郎師範である。嘉納師範は戦って勝つこと、つまり勝負法を主眼に稽古してきた従来の柔術に対し、精神の修練(修心法)と健全な身体の育成(体育法)を加味して行うならば、柔術(武術)は明治以降の近代においても大きな意義があると考え、そのような柔術を「柔道」と命名して普及した。大きくいえばそれは人間形成、あるいは人間教育としての柔道である。この理論は近代の教育システムの方向に完全に合致したことから、嘉納師範の創始した柔道は、剣道と並んで学校教育の二大武道として取り上げられることになった。
このように嘉納師範は戦前、柔術の近代化に取り組み、その中から柔道を生み出していったが、一方、富木師範は、戦後の体育教育の文脈において、以下のように、嘉納師範の遺志を継承していった。
柔術の技は、組み付く、打つ、突く、蹴る等の様々な攻撃に対する技、あるいは背面や側面からの不意の攻撃に備える技、さらには座っている場合における技や、また武器での攻撃など、その内容は複雑多岐にわたる。この中から嘉納師範は、襟と袖に組みつく「組む」格闘形体の技を競技化して今日のオリンピック・スポーツ柔道の基をつくった。
富木師範は嘉納の偉業を受け継ぎつつ、さらに襟と袖に組みつく前の態勢すなわち「離隔」(りかく)の間合いからなされる当身技に対抗する柔術技法を研究し、新たな競技システム(「柔道第二乱取り法」)を創案・提案した。この創案に当たって決定的な影響を与えたのが、間合いと目付、そして刀法を核とした剣道の理論と、植芝盛平翁の合気柔術(後の合気道)である。合気柔術の技術内容は柔術のそれと軌を一にしており、植芝翁が卓抜した技能を持っていたことから、富木師範は昭和初年から植芝翁に師事し、その技法を修業・研究した。
さらに富木師範は、嘉納師範の柔道理論(柔道原理)や同師範が柔道界に残したさまざまな形、さらには柔術各流派をはじめとする各種武術の総合的な研究を続けた。そしてその成果を元に「古流の形」(「護身の形」/「第三の形」)を編成し、乱取り法の面では「乱取りの形」(17本・10本)から「乱取り稽古」を経て「試合」へと至る新たな競技システムを創案したのである。
4.競技システムの特徴
競技システムの特徴は、教育・研究のすべての場面で教育的・科学的な練習方法を採用している点、そして安全性への配慮の徹底と、実用性の追求との調和的共存にある。富木師範はこの競技システム全体を「生涯武道」の理論の枠組みの中に位置づけた。日本合気道協会が競技システムを採用する目的は、試合の場に身を置き、勝敗に拘束されることから生ずる心の葛藤を克服する体験によって自己の内面を反省し、精神を鍛錬することにある。
試合に参加するまでの長い道程には、大きく三つの段階がある。つまり、乱取り基本の形(十七本の技)の反復(「かかり稽古」)とその応用稽古(「ひきたて稽古」)、そして真剣に技を競って技を磨く「乱取り稽古」である。乱取り稽古を除く前者を富木師範は「乱取り的形」とも表現されており、大きくいえば形の稽古の範疇にはいるともいえる。競技会における試合には功罪二つの面がある。最大の問題点は、競技ルールの中での選手の勝敗へのこだわりが、形の錬成によって築かれる武道の基本を崩すのみならず、武道の技術的本質を見失って視野を狭くしかねない点にある。だからこそ富木理論では、試合は、修行の成果を図る場として、また、反省の教材とするために稀に行われるべきであって、頻繁に行うべきものではないとされたのである。
にもかかわらず試合・競技を推奨する理由は、修行者が、試合の場に身を置くことによって初めて生ずる心の動揺に直面し、それを克服していく体験には優れた教育効果があると認めるからである。つまり、試合体験には、克己心・自制心・勇気といった精神性を体得する力や、対戦相手を思いやる情操教育としての徳育的意義があるのである。
一方、「形」の練習は、武術に含まれる奥深い技法を繰り返し練習することによって、心身の基盤を形成する点に意義がある。また形には、ときに乱取りによって生ずる基本の乱れと偏(かたよ)りを修復させる機能もある。「形稽古」とは、学生合気道競技会で行われる「演武競技」とは異なって、本来誰かに見せるためのものではなく、実戦の場面を想定して先ずは術理の理解と実用性の追求を忘れない稽古法である。古来日本武道の世界では、「形」だけの修行で恐るべき実力をつけた人がおり、形の修行が武道の王道であることは変わらないのである。
試合・競技はその過程に激しい格闘術の性質があるため、心身鍛錬期にある若者に向いているのに対して、「形」を中心とした稽古は、年少の人や中・高年者以上の人々にはより相応しいといえよう。この間をつなぐ稽古が、広義の意味の「乱取り稽古」である。乱取り稽古には、学んだ形を反復して繰り返す「掛かり稽古」から「引き立て稽古」があり、これらは形の生きた応用稽古といえる。要するに「富木合気道」とは、「形」と「乱取り」の修行を繰り返すことを通して老若男女がそれぞれの状態にあった人間形成を行う「生涯武道」、「生涯体育」なのである。
5.名称の由来
富木師範の創始した教育システムは、師範がそれまで所属・関係していた武道団体が採用するに至らなかったため、富木師範自身はこれを「乱取り中心の合気道」「新合気道」あるいは「合気道競技」と命名した。また海外においては自然発生的に早くから「Tomiki System of Aikido」、「Tomiki Style of Aikido」あるいは「Tomiki Aikido」などと呼ばれてきた。
富木師範は、柔術を近代化した嘉納師範の業績を受け継いで発展させる立場に立っており、自らの創案したシステムを「柔道第二乱取り法」と位置づけて、その別名を「合気乱取り法」とした。しかし世界の合気道界では、武道史研究を踏まえた理論構築はおこなわれておらず、形稽古をもっておこなう独特の芸道的な様式が中心である。富木合気道の理論と実際は、まさに世界の合気道界からは独立して光彩を放っているのである。こうした現状を踏まえて、私たちはその合気道を他から識別するために「富木謙治の合気道」、その略称として「富木合気道」を使用することにした。
今日の柔道も、その揺籃期においては「嘉納流」柔術という認識が社会で一般であった。柔道が柔術を超えていった趨勢によって、自然と「嘉納流」という形容詞が外された歴史を考えるとき、富木合気道という呼称も相対的かつ過渡的な呼称であるともいえよう。
(2015/04/14稿)